日常の疑問

お坊さん説教・説法の違いは?話をしたい時どうすればいい?

お坊さんは、日夜仏様の教えを学び実践しているので、なにか悩みや問題を抱えたときに、お坊さんにその解決策を求める人は多くいます。

はるか昔からある、仏教の教義を説いて(話して)くれるわけですからね。

その話のことを「説教」もしくは「説法」と言いますが、一体正しいのはどちらなのか、疑問に感じる方がいると思いますので、今回は両者の違いを明確にし、その上で、お坊さんが行うのはいずれか、今回は個人的な見解を述べていきます。

また、お坊さんの話を聞くだけでなく、「こちらから話しかけたい、話をしてみたい」という方向けに、お坊さんと話す方法をまとめました。

早速みていきましょう!

説教と説法は明確に違う

お坊さんの説教と説法の違いですが、最初に言葉の意味を明確にしていきます。

まず説教ですが、これは自分の考えを一方的に押し付けることを指します。

次に説法は、物事の道理を言って聞かせ、その上で判断は自分で考えさせるといった教えのことを指しています。

聞くのも嫌な説教

親や先生、上司などから説教を受けたと、感じた経験は誰しもありますよね。

その印象は、上からガミガミと口うるさく言葉を浴びせられるといったものだと思います。

説教というのは、先ほども申し上げた通り、自分の考えを一方的に押し付けるものなので、説教は「聞く」というよりも「無理やり聞かされる」ものと言ったほうが正しいかもしれません。

なので、お坊さんの話を「説教」として捉えるのは、どうも相応しくないと個人的には思います。

お坊さんが行うのは説法

お坊さんの説教と説法の違いは、先ほども申し上げた通り、考えを一方的に押し付けるか否かなのですが、お坊さんが行うのは大抵説法という認識でOKです。

つまり、最終的な物事の判断は本人の自由意思に委ねるということです。

これは、仏教が持つ宗教的側面が大きく影響していると思います。

キリスト教のような絶対的な存在(神)がいない仏教では、自分の考えを一方的に相手に押し付けることは不適切なんですね。

なので、仏教の教えを守るお坊さんの話は、説法なのです。

お坊さんと話をする方法

お坊さんの説教と説法の違いをご理解頂いたと思うので、次にお坊さんと話がしたい場合にとるべき方法をみていきます。

お坊さんと話したい!そう思った時に手っ取り早いのは、直接会いに行ってしまうのが一番です。

家の近くのお寺に出向いてみるということですね。

「え、いきなり行って大丈夫なの?」と思うかもしれませんが、全く問題ありません。お坊さんは、雲の上にいる手の届かない存在ではないですからね。

もちろん、しっかりと話を聞いてみたいという明確な意志があれば、事前にお寺に電話するなりアポを取って時間を作るのが良いですが、世間話程度でフラットに話したいのであればお寺に直接行ってしまって大丈夫です(タイミングによってはお坊さんに会えないかもしれませんが)。

なんとなくお寺を参拝したついでに、そこにいたお坊さんと話すなんてことも出来ますからね。

肩ひじ張らずに行ってしまうのが良いでしょう。

また、対面には抵抗があり、リモートでお坊さんと話したい・悩みを相談したいという方には専用のサイトも開設されていますので、活用してみてください。

まとめ

お坊さんの説教と説法、どちらが正しいのか、話をしたい場合はどうすればいいのかをチェックしてきました。

お坊さんは、戒律を守りながら厳しい修行を日々積んでいます。

修行をしているお坊さんの言葉が、説教のように、決して考えを押し付けるのではなく、物事の道理に従って教えを説いてくれるのは本当にありがたいことだと思います。

私達は、生きていくうえで自分の考えが正しいのか、不安になったり悩んだり、つまずいたすることが多々あります。

こういった場合にお坊さんの説法を聞き、なんらかのお導きを受けることで、気持ちに良い変化が表れるでしょう。

説法を受けたうえで、その後の行動や考えは自らの意思で決めることになります。

また、私達が求めればお坊さんと話せる場があるということも、素晴らしいと思います。

昔は寺院を通じてお坊さんと接触していましたが、現代ではお坊さんと様々なツールを介して接触することができますから、ご自身に合った方法を選んで、行動に移してみてください!

お坊さんから説法を受けるのも、話を自らしに行くのもとても貴重な体験になることは間違いありません。