人は誰でも平等に、やがてお迎えが来てこの世を去ります。
その際に、迷わず成仏できるようにお坊さんが導いてくれるわけですが、そんなお坊さんも我々と同じ人間なので、いずれは亡くなってしまいます。
いつもは『あの世へ行く』という事を、私たちに教えてくれるお坊さんたちは、何を思いながら旅立っていくのか、気になったことはありませんか?
私たちと同じように死を恐れ、場合によっては怯え、苦しみながら召されていくのでしょうか?
そして、どのように葬儀されるのでしょう。
今回は、お坊さんが亡くなったら?に焦点をあて、お坊さんは死ぬことをどう考えているのか、お坊さんが亡くなったら、どのように葬儀が行われるのかをみていきます。
お坊さんの死に対する考え
お坊さんが亡くなったら、に触れる前にお坊さんの死に対する考え方を知っておきましょう。
お坊さんは仏教の教えを学び、私たちに伝える存在であると同時に、悟りの境地に到達するために日々修行に励んでいます。
仏教では、悟りの境地に達すると仏になると考えられており、仏とは煩悩の全てから解放された存在です。
人間は死後、輪廻転生(魂が別の生き物に生まれ変わって六道という6つの世界のいずれかに入ること)をするとされており、その際には多くの苦しみを経験するそうです。
この苦難(=煩悩)から解放される事を、涅槃(ねはん)と言います。
つまり、涅槃に達することがお坊さんの最終到達点であり、そのためには死を経験しなければならないと。
ですから、お坊さんは私たちのように死ぬことを嘆いたり悲しんだりはしません。
死は、次の生への移り変わる過程であると信じているからです。
お坊さんは自身の死を迎え入れる時、無事に涅槃にたどり着けるように、心を落ち着かせ願います。
そして、自分自身の命をもって私たちに仏教の在り方を示してくれるのです。
ちなみに故人を北枕で寝かせる風習は、お釈迦様が涅槃の際に頭を北に向けて顔を西に向けていたことから、そのような作法になったと言われています。
お坊さんと私たちの葬儀の違い
お坊さんが亡くなったら、私たちが行うお葬式とはなにか違いがあるのでしょうか?
結論、お坊さんと私たちの葬儀は違いがあり、仏教の教えや宗派の伝統に基づいた特別な儀式を含むことが多いです。
が、基本的な尊重と敬意を表す点では、我々と共通しています。
お坊さんの葬儀は、その人が属していた宗派や地域の慣習、また個人の遺志によって異なる場合がありますが、一般的に以下のような特徴がみられます。
特別な儀式と宗派による違い
- 読経と法要
お坊さんの葬儀では、その人の生涯や修行を讃え、極楽浄土への旅立ちを祈願するために、特別な読経や法要が行われます。
これには、その宗派特有の経文が用いられることがあります。 - 僧侶による参列
同じ宗派や他宗派の僧侶が多数参列し、亡くなったお坊さんを弔うための儀式に参加します。
僧侶同士の繋がりは非常に強く、このような時には多くの僧侶が集まることが一般的です。 - 戒名の授与
亡くなったお坊さんには、生前に与えられていた戒名(僧侶としての名前)または新たな戒名が授与されることがあります。
これは、その人の修行や宗教への貢献を讃えるものです。 - 遺体の扱い
遺体を火葬することが一般的ですが、その後の遺骨の扱いは宗派や地域の慣習によります。
一部の宗派では、特定の儀式を経て遺骨を分骨し、複数の場所に納めることがあります。 - 葬儀の規模と形式
お坊さんの地位や宗派内での役割によって、葬儀の規模や回数・形式が異なることがあります。
高位の僧侶の場合は、より多くの僧侶が参列し、複雑な儀式が行われることがあります。
と、このような違いがあります。
お坊さんの数と、葬儀の回数以外は通常人とさほど変わりはありません。
火葬はもちろん行いますし、檀家や一般の弔問者も参加することが出来ます。
ちなみに、お坊さん(住職)が亡くなった後のお寺は副住職が継ぐことになります。
もしお寺を継ぐ人がいなければ、そのお寺は、次の住職が決まるまでは近くの同じ流派の住職が、自分のお寺を持ちながら代務住職を勤めます。
お坊さんが亡くなると、このような流れで進んでいくのです。
まとめ
お坊さんが亡くなったら、というテーマを深掘りし、死生観や葬儀の流れについて解説を行いました。
誰でも死ぬ事は怖いですけど、お坊さんのように前向きな気持ちで人生を終えれると素敵だと思います。
そんな気持ちになれるように、日々後悔することなく、全力で一生懸命生きたいものですね。